kocoronoを観て。

bloodthirsty butchersのドキュメンタリー「kocorono」を見に行ってきた。 

見終わってからこっちに帰ってくるまでずっと混乱してた。 

正直に言えば映画であんな感情を傍若無人に揺さぶられたのは始めてで最後は涙も零れた。 

でもその涙がどんな感情から湧きでてきた物なのかが全く分からなかった。 

歓喜? 
悲哀? 
後悔? 
憤怒? 

自問自答しながら車を帯広へ走らす。頭の中ではぐるぐると映画の内容がプレイバック。 

今日もずーっと頭の中で渦巻いてて少しづつまとまって来た。 

俺は正直このバンドは売れる気なんか毛頭ないんだろうなって思ってた、彼らのライブは受け手である観客に全てを委ねるような、そんなライブを展開していく。「俺らは俺らなりの発信をしていく、それから先は君らの感情に委ねる」そのようなライブ 

決して客を煽りもしなければ安易な同調も求めない。そんなところも俺は好きだ。 
自然体で全てを受け止めて見れるライブをしてくれる数少ないバンドなんだ。 
  
雰囲気だったり音だったり、売れるなんて考えて無いんだろうなって思ってた。でも同時になんでこんな素晴らしいのにもっと人気が出ないのかなとも思ってた。もっともっと、世の中に響くべきだと(偉そうでスンマセン。1ファンとしての意見です) 

でもこんなもんじゃない、もっともっとと一番思っているのは当の本人達だった、シャイである故の孤独、続けていく上での苦悩、リアルに映し出されていた、生々しさ故目を背けたくなる部分もあったくらいに。 

意外だったのは 
好きなバンドのドキュメンタリーなんだから俺も見たら当然自分の中の「バンドマン」としての部分にえらい響くんだろうなって思っていた。 

でもそうでは無かった、一番響いたのは自分の中の「職業人」としての部分だった、モノを創りだしていく、それを何年も続けていく、常に新しいモノを発信し続ける。 

音楽に限らずどの職業でもあることで、ホント難しい。 

職業人としての自分に響いたのはホント意外だった。 
コレはバンドのファンのみならず全てのモノ作りに携わる人々に見てほしいね。 

色々考えて、あの涙の答えが出た、 

俺はまだまだこんなもんじゃ無いと、自分自身に燻ってた気持ちに気付けた。それに対する歓喜の涙だ。 

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